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【浦潮日記】ポエジー編 #13ーロシア極東連邦大学ロシア語留学記ー

【浦潮日記】

注記;各項目最後の括弧内の日付は、自分がそのことをメモした日である。

<ポエジー編 #13>
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街頭の 物乞いで生活する ジプシー

 教会前、中央広場、市場など人が集まるところに多くのジプシーの家族が座り込んでおカネを恵んでもらおうとしている。寒い時でもそうしている。中にはまだ歩けない小さい子供を抱えた者もいる。皆、ウズベキスタンから来たジプシーだという。5年前にウラジオに来た時、中央広場を散歩していると、まだ歩けない小さいを孫を抱っこしたジプシーのおばあさんが、孫の手を僕にタッチさせて「パパ、パパ」と言い、金を恵んでくれとせがんできたことがあった。先生の話によると、彼らをしきっているボスがいるという。また、ソ連崩壊前はこんなことは無く、ジプシーの人が自分らの民族音楽や舞踊を学ぶ学校があったという。(2013.6.3.)

訃報

 旅先や滞在先で親しい人や尊敬する人の訃報に接することほど寂しいことはない。ロシアに来て数ヶ月経ったころ、大学時代の一年後輩の親友が亡くなったことを友人からのメールで知った。この親友は若い時から、名古屋市郊外の町で長い間市会議員をしていた。メールをしてくれた友人も含め、全国から友人たちが葬儀に参加したという。もうひとつの訃報は帰国してから知った。沢山届いていた郵便物を整理していたら、大学院時代の研究室の恩師が亡くなったという通知が届いていた。先生は93歳ぐらいで亡くなられた。先生は弟子を大変大切にする人で、毎年一回5月の連休明けに東京で研究室の同窓会を開くのが恒例になっていた。先生も弟子の顔を見るのを、毎年大変楽しみにしておられた。また先生御自身も毎回必ず「俺にも喋らせろ」と言って何か必ずスピーチをされ、時にはプロジェクターを用意させることもあった。僕は会社勤めの現役時は忙しく、且ついつもこの同窓会は東京であるので欠席していた。それでも、先生が岐阜の国立職業訓練大学校の校長をしていた時の同窓会は、長良川河畔のホテルで開かれたのでその時は参加した。今回は退職して時間が出来たのと、10ケ月の長期にわたりロシアへ行くので来年も参加できないとまずいと思った。先生も年なので、今年参加しておかないと悔やむことになる可能性もあるかなと思ったのである。あんなに楽しみにしておられた弟子との年賀状のやり取りも、昨年のものは「今回で私から出すのは最後にします」という内容のものであった。それでも大学生協内の食堂で開かれた最後の同窓会へも先生は近くの自宅から歩いて参加され、立ってしゃべられた。僕もずっと聞きたかった長生きの秘訣を聞いた。そうすると、その答えは「物事に関心を持つことだね」と言われた。この時、先生が皆の前で提供された話題は二つあり、ひとつはオウム真理教のサリン事件の報道用語についてである。事件が発生した直後にも先生は新聞社に電話したが、今回犯人が逮捕されたのを機に再び電話し「オウムがやったことはサリンの製造ではなくサリンの生成であると訂正を要求したら、やっと新聞社は訂正した」という話であった。論文などを書く時には、データだけでなく言葉使いにも注意を払われた先生らしいものであった。もうひとつは「自分はガンにかかっている。しかし、この年のガンは放置しておいて共生するのが最良である」というものであった。この先生に関しては更にいくつか思い出がある。年賀状で僕が「先生の書かれた本を会社の図書室で見つけ、今読んでいます」と書くと、すぐさま折り返し「その本は少し古いので、最近のこの本の方が良いでしょう」とやはり先生の書かれた最新の著作を送って頂いたことがあった。また当時はロシア語の文献を読める理系の研究者は世界的に少なかったので、ロシアの学術誌はたいていロンドンやアメリカで英訳された雑誌を半年以上遅れて読んでいた。僕は辞書を片手に、図書館にあった英訳される前の新着のロシア語雑誌を読んで、それを研究室の雑誌会で紹介した。そしたら先生は「ロシア語を読もうという意欲は良い」と褒めて下さった。また外国の研究者が頻繁に研究所を訪問した。その時、それらの研究者はしばしば研究所で記念講演をする。ある時、先生は「自分のモットーは必ず一つは質問するように心がけていることだ。そういう気持ちで参加すると講演を真剣に聞くようになる」と言われた。何でもない一言で多分先生は忘れておられたと思うけど、僕には印象に残っている言葉である。 (2013.2.1.)

路上での出来事

 日本人のおっさんが一人で外国をうろうろしていると、路上でいろいろ面白いことに出会う。多少、危険で嫌な思いをすることにも遭遇したこともあるが、団体旅行にはない経験ができるので有意義である。これが僕の外国旅行のスタイルである。外国の人も相手が一人で旅行している年配の日本人だと思って気軽に話しかけてくる。一番嬉しいのは、日本語を習っている小学生が元気よく「こんにちは」と声を掛けてくることである。2008年にウラジオへ長期留学前の下見に行った時、中央広場で遊んでいた数人の小学生の男の子に元気な声で「こんにちは」と声を掛けられた。「君たち何年生?」と日本語で聞くと理解できないようなので、再度ロシア語で聞くと「4年生」という返事が返ってきた。ウラジオには小学校の時から日本語を勉強する学校が二校ある。着物ショーの会場でも親と一緒に来ていた小学生の女の子に、やはり「こんにちは」と声を掛けられた。皆元気でかわいいね。面白い経験としては、大学近くの路上を歩いていたら、後ろから来た神父風の人に教会に来ないかと10分間ぐらい道すがら勧誘されたことがある。「日本は自由な国でしょう。キリスト教に関心ありませんか。教会で一緒に勉強しましょう。日本語がわかる人もいますよ。心配する必要はありません」と言う。「僕は唯物論者ですから、宗教は信じません」と言うと、「科学ですべてのことが説明できますか」と言う。更に日本でのモルモン教の布教など、あれこれ話して途中で別れた。変な人間が話しかけてきて、全く無視したことも何回かある。面白かったのは昼間、大学近くの路上で身なりの良くない中年男性が、反対方向から来て、すれ違い様に「10ルーブルも持ってないか」と聞いてくる。こんな時に財布を出すと、多分ひったくられるかもしれないね。同じく昼間、大学近くの路上で「どこから来た」と英語で突然声を掛けてくるやはり身なりの良くない男もいた。また大晦日の深夜、中央広場でタジキスタンから来たと思われる中年の男に声を掛けられたこともあった。ロシア語の先生にこのことを話すと「夜一人で怖くないか」と言われた。バルト三国のラトビアのリガに行った時に駅構内をぶらぶら見学し、時刻表などをぼんやり眺めていたら、「どこの行くのか」と若者が聞いてきたことがあった。やはりリガで子供がお金をくれと何回もせがんできた。ウラジオではジプシーの子供がいつもまとわりつく。こういう場合はロシア語がわからない振りをして、いつも無視である。しかし、今までで一番嫌な経験で、我ながらお粗末で恥ずかしい体験はサンクトペテルブルグのネフスキー通り(通称スリ通り)で、スリに持っていたルーブル札全部とクレジットカードが入った財布をまんまとすられたことであろう。(2013.6.3.)

ロシア語とロシア文学

 日本でロシア語を学んでいた時から、ロシアの小、中、高の学校では全学年にわたってロシア語とロシア文学の授業が別々にあると聞いていた。どんな違いがあるのか具体的に良くわからなかった。日本ではすべて国語である。その中に現代国語、古典、漢文、文法などがある。早速、ウラジオの本屋の教科書のコーナーを眺めてみた。学年ごとに各科目の教科書や参考書が並んでいる。ロシア版共通一次テストの参考書もある。たまに親子連れや孫と一緒の年配の婦人も来ている。確かに全学年にわたってロシア語とロシア文学の教科書がある。ここでわかったことはロシア語とはロシア語文法のことであり、ロシア文学とは童話、小説、詩、読み物などということである。ここからは僕の推定だが、何故、ロシア人は高校卒業までロシア語文法を勉強するかというと、それは正確できれいなロシア語を書き、話すことは他の言語より難しいからだと思われる。もちろん母国語重視の国民性があってのことである。印欧祖語本来の文法体系を色濃く残すロシア語は名詞の格変化、動詞の活用をはじめとして、その文法は他の言語に比較して相当複雑である。その点、世界共通語となった英語は元来文法的に単純であり、単語や発音も地域によってバラエティーに富んでおり、その違いに寛容である。(2012.11.3.)

日露比較:勤務態度

 長いこと会社勤めをしていたので、どこの国に行ってもどうしてもそこの国の労働者の勤務態度に目が行ってしまう。ウラジオ近郊の海水浴場へ行くため電車にのると、ロシア国鉄の作業員が座席に寝転んでいる。出発直前になって同僚が呼びに来てホームに降りていった。日本では職員が安全チェックなどを行う時刻である。考えられない。以前、シベリアのノボシビルスクのホテルで朝早く空港に向かうため、受付に行くと傍のソファで若い屈強そうなガードマンがグーグー寝ている。女性の受付嬢は当然起きている。何たるガードマンだ。それからウラジオのロシア人バス運転手にもひどい者がいた。その運転は粗暴で危険を感じるくらいであった。さすがにロシア人の乗客たちもブーイングである。僕も思わず、大声で「危険だからやめろ」と叫んだ。どうもロシアでは先生より高い給料を貰いながら、運転手の勤務態度はあまり良くないようで、バスの中にも「何か運転について問題がありましたら、電話下さい。電話番号○○××」という交通局のお知らせが貼ってあった。これは勤務態度とは直接関係ない話だが、前述の海水浴場行きの電車内で見たのだが、中年の女性車掌にぴたりと鉄道警察官がついていた。要は護衛付きで切符を販売しているのである。また各車両に鉄道警察官への緊急連絡ベルが設置されていた。僕が乗っていた時も、車掌が降りた客に大きな声で何か叫んでいた。金を払わず電車を降りたり、車掌の金を盗む不届き者がいるのか。(2013.7.13.)

日露比較:保全マンの腕

 ロシアで感じた作業員の仕事のやり方について述べたいと思う。自分の部屋の鴨居(かもい)に洗濯物を干していたら、寮母に「壊れるから、そこにぶら下げたらダメ」と注意された。後日、親切なことに保全マンが壁にネジをはめ込んでくれた。これに縄を張って、いざ洗濯物を掛けようとするとすぐネジがはずれてしまった。初めからネジがまったく効いていなかったのである。「こんな仕事してはダメではないか」と寮母に言うと、後日直してくれた。こんなことは素人でもその場で、すぐわかるだろうと言いたかった。他の日本人も部屋の水道水が洩れるので直してもらったが、翌日また洩れたという。また寮の自分の部屋に住み始めてすぐわかったことだが、部屋の天井の隅が結露が原因でカビが生えている。三十センチ四方ぐらい黒くなっているのである。その他にも点々と黒いカビが壁に発生している。どうもきれいに補修してなかったようである。部屋に遊びに来たロシア人が「病気になるから、部屋を変えてもらうか、すぐ修理してもらうべきだ」と言う。その黒カビのすぐ下で食事をしていたので寮監に頼んで修理してもらった。その修理もいい加減で、断熱などの結露防止対策などをせず、ただカビの上から中年の女性がペンキを塗っただけである。もう一つロシア人の仕事のやり方で印象に残っているのは、2002年5月にシベリアの学園都市、ノボシビルスクを訪問した時の出来事である。そこの空港で盗難防止のため手荷物をビニールシートでぐるぐる巻きにしてもらった。一応機械で巻いているのだが、仕上がりが実にひどい。それですずしい顔をして500ルーブル(1500円)ぐらい取るのである。僕はばからしくて何も言えなかった。同行していたロシア人も何もクレームをつけないところをみると、どうもこれが当たり前みたいである。中央広場などで踊りの舞台を組み立てていたとび職人たちの動きや連携動作、服装、道具をみていても様になっていない。これらの経験をロシア語の先生に話すと、少し金を持った人間が、適当に人を雇ってこういうビジネスをやっているらしい。(2013.4.13.)

海水浴

日本にいる時から、寒いシベリアのウラジオストックでは市民は海水浴を楽しんでいるのか関心があった。僕は北陸の風光明美な海岸近くで育ったので、子供の頃、夏休みは毎日海水浴をした。学校のルールで4年生からは一人で海へ行けるので、午前、午後一日二回海水浴に行くこともあった。また海の水平線を眺めたり、海岸を散策するのが好きである。ウラジオも7月になり、気温も20℃を超え、暑い日には27℃になる日も出てきた。冬は氷が張っていた街の中心部にある海岸通りの海も土、日曜日は海水浴や砂場で肌を焼く人で賑わうようになってきた。たったの長さ200メートル、幅15メートルぐらいの砂浜である。ロシア人の美人の条件の一つに、程よくこんがり焼けた肌がある。それで海岸で寝転ぶ人が多いのである。金持ちは肌を焼ける金と暇があるぞという意味もある。ロシア語の先生の一人は腕をまくりあげて、黄色人種の僕や韓国人女子学生に見せ「ほら、私のほうが黒いでしょう」と自慢げであった。長さ200メートルの砂浜ではまったく物足りないのでどこか良い景勝地がないか探した。先生の話によると郊外にもっと本格的な海水浴場があるという。テレビ・ニュースでも多くの海水浴客で賑わう海岸を紹介していたので、そこへ出かけた。郊外電車に乗って30分ぐらいである。すると自家用車で来ている海水浴客で駐車場は満杯である。もちろん僕が乗った電車も海水浴客でいっぱいであった。ウラジオの海岸線は砂浜の長さはそれなりにあるけれど、幅が狭い。広い所で100メートルぐらいか。岩がまじかに迫っているところもある。それでも多くの人が短い夏を楽しんでいた。食べ物屋も沢山出ていた。少し驚いたのは海水浴場に入るのに50ルーブル(150円)位の入場料を取られたことである。 (2012.7.20.)

海岸通りの浜辺で海水浴を楽しむウラジオ市民
ウラジオビーチ

バスの運転手や道路清掃人は ほとんどがウズベキスタン人

 ここウラジオにきて、すぐ目に付くのがバスの運転手がロシア人でないこと、バスが韓国製中古車のオンボロ車であること、道路清掃人が多いことである。道路清掃人は200~300メートル置きぐらいに配置されている。聞くところによるとこれらの人はほとんどウズベキスタンからの人だという。運転手はロシアでは悪くない給料をもらえるから出稼ぎにくるという。ロシア人より安いので交通局もこれらの人を雇っている。ロシア語の先生の話によると、暗くなると路上で麻薬を売るとんでもない道路清掃人もいるという。(2013.6.3.)

いつも感心 ロシア人の演劇鑑賞マナーの良さ

 劇場、ホール、教会などで演劇、バレー、音楽などを鑑賞していて、いつもロシア人のマナーの良さに感心する。子供も静かに観ている。走り回る子供をロシアでは見たことが無い。子供の時からのしつけがしっかりしている。ロシアではどこでも州立の子供人形劇場があるのだが、そこでも親の席から離れた子供たちが前列で静かに見ている。親は後ろの席で見ている。開演前に劇場管理人のおばさんが子供たちにきちんと静かに聞くように説明している。演劇好きのロシア人の良き伝統である。劇場でのマナーの悪さが散見される日本人は見習うべきであろう。歌舞伎や落語、相撲をマス席で弁当を食べながら観る伝統で育った日本人とは根本的に演劇鑑賞態度が違うのである。(2013.6.20.)

人形劇場
ロシア人形劇

超危険 ふたの無いマンホール

 ここロシアへ来て驚いたのは、あちこちにふたの無いマンホールが放置されていることである。それも人通りの多い劇場付近の歩道である。夜間、酔っ払いは確実に落ちる。おそるおそる中を覗いてみると深さは2メートル近くある。「これは寒い夜、落ちたら命の危険があるな。這い上がれないな」 と思い背筋が寒くなる。公園のマンホールにもふたが無いものがあり、木の枝がかぶせてあった。事故が起きたら誰の責任になるのであろうか。そう言えばモスクワで夜、酒を飲んでいてマンホールに落ちたという有名な日本人の話を聞いたことがあるし、ロシアの映画などでもマンホールに落ちるシーンがある。(2013.6.20.)

これは驚き 夕方七時までオープンしている 銀行窓口

 日本の銀行は昼3時で、窓口業務が終了してしまう。これは昼間、働いている人にとっては大変不便なことである。ところが、ロシアでは午後7時まで窓口業務をやっているので、大変ありがたい。女性の従業員も普通の店に比べて大変親切である。また郵便局とえらい違いである。民間で競争が激しいからか。それにしても何故日本はあんなに早く窓口が閉まるのかね。窓口が閉まってからも遅くまで残業しているという話を聞いたけど、何をしているのかね。(2012.12.10.)

八着まで 試着OK の洋服店

 ズボンを買って試着室に入いろうとすると、入口に「試着持ち込みは8着まで」と書いてある。ということはここウラジオでは10着やそれ以上、試着室に持ち込む人がいるということである。これには少しびっくりした。何でそんなに沢山試す必要があるのだろうか。日本人はこんなに何着も試着することは遠慮してできない。ロシア人女性の洋服とファッションに対するこだわりの強さなのか、それとも粗悪品があるので沢山試さないといけないのか。これは今でも理解できない。ロシアの女性は足や胸にピチピチのジーンズや服を着るから、自分に合ったものを探すのは大変だと思う。また少し太るともう着れなくなるから大変だろうなと余計な心配までしてしまう。(2013.2.10.)

 

数字編 #1に続く

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