【浦 潮 日 記】
― ロシア極東連邦大学ロシア語留学記 ―
2013年11月4日記
これは退職後、2012年10月から2013年7月まで10カ月間、ロシア、ウラジオストックの極東連邦大学でロシア語を勉強した時の日記である。高校時代から密かに夢見ていたことが実現したので、それを記録するものである。
芭蕉の「奥の細道」や吉田兼好の「徒然草」風に格調高く、且つ数字データなども取り入れてリアルに現地の生活実態や自分の思いを伝えられたらと思う。
ウラジオストックの中央広場
注記;各項目最後の括弧内の日付は、自分がそのことをメモした日である。
寮に着くと赤さびお風呂がお出迎え
3日間ぐらい自分の部屋の風呂水が赤さびで赤い。
寮監に聞くと配管を直したという。5年前にシベリア鉄道で訪れたイルクーツクの立派なホテルもお湯が真っ赤であった。要は町の中に張り巡らされている温水供給管が古いのである。
いつも洩れており修理が不完全である。道路の真ん中から蒸気が吹き出ているのを何回も見た。
ロシア全土でみると、こういう洩れによるエネルギーや水の損失は1~2割はあると思う。(2012.10.3.)
修理不完全の温水供給管
今も健在 レーニン像
ロシア人のレーニンに対する感情と評価は現在どうなのか、スターリンと比較してどうなのかということを現地で直接確認することも、今回の滞在の大きな関心事である。
ウラジオ駅近くのレーニン像は現在も健在であった。ペレストロイカ直後、どこかのレーニン像が引きずり倒されている映像をテレビで見た記憶がある。
5年前にウラジオを訪問した時も、ウラジオ駅近くのこのレーニン像はそのまま健在であった。
10年前にモスクワの赤の広場を訪問した時もレーニン廟は以前のままであり、衛兵がきちんと守っていた。
死去後にフルシチョフに批判され、撤去されたスターリン像やその記念物とは大分違うようである。(2012.10.10.)
ウラジオ駅前のレーニン像
ポエジー編 #2 に続く
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