越中屋弥左衛門のぼっち旅(国内編)
<第11話>
知立神社の手筒花火と新設「お万の方」像
(2023年9月17日~9月18日)
手筒花火はコロナが落ち着いたので久し振りに行われることになった知立神社の伝統行事である。知立神社は自宅から歩いて10分の距離なので、夜7時頃に散歩がてらに出かけた。
また翌日の昼間には、知立神社の娘として生まれ、家康の側室となった「お万の方」の像が設置されたというので出かけてみることにした。
NHKテレビの「どうする家康」人気にあやかり奇特な方が寄贈したらしい。参考までに記すならば知立神社は三河国二宮で西暦850年に境内に神宮寺が創建され、二重の塔が建立されたと伝えられている。明治維新の廃仏毀釈の際には多宝塔は本尊と仏壇を撤去して文庫として改めることによって破壊をまぬがれたという。
手筒花火
手筒花火は三河の名物である。
弥左衛門は三河に来る前は富山県・名古屋・東京に住んでいたが、このように人が円陣を組んで手筒花火を打ち上げるのを初めて見た時は少し感動した。日本は地方毎にいろいろ面白い祭りがあるものだと思った。
これは結構大きい花火を手に持って、観衆のすぐ近くでやるので、手筒を持つ青年も、見ている観客も少し危険である。
当日撮影した雰囲気が分かる動画。
退職前に働いていた会社の職場に豊川から来ていた青年がいて、地元の祭りでこれをやり結構な火傷を負って会社を休んだことがあった。
お万の方像
お万の方(1548-1620)は徳川家康の側室で、ここ知立神社の神主の娘として生まれた。
家康(1542年生まれ)とは6歳違いということになる。戦国時代の女性の例に洩れず、政争の渦に巻き込まれる多難な人生を送っている。
この像はお万が生んだとされる双子の息子を抱えたものとなっている。像は知立神社内にある「親母神社」の正面横に建てられている。
知立神社内散策
ついでに知立神社内を散策してみた。
知立神社で一番古い建造物で1506年に再建されたものという
こういう石の太鼓橋は江戸時代においては大変珍しかったようである。構造を見てみると結構大きい御影石を少し湾曲型に加工する必要がある。
大きい御影石を何枚も準備し、このように加工し、設置することは相当金がかかったと思われる。弥左衛門はコロナ前に地元の古文書勉強会に参加して西尾市岩瀬文庫所蔵の書籍を学んでいた。
その時、テキストに使った江戸時代の名所旧跡紹介本に、熱田神宮の石橋が紹介してあったので、見に行ったことがある。あまりにも隅っこにあり、且つ小さいのでガッカリした記憶がある。ここの知立神社の方が立派である。
看板の説明によると、この橋も江戸時代の観光案内書に載っているという。江戸から来た人は東海道を歩きながら、弥左衛門と同じように、ここの石橋と熱田神宮の物とを比較したかもしれない。
今は季節でないので花は咲いていないが、6月になるときれいな菖蒲が満開になる。ボランティアの方々によってきれいに管理・育成されている。
(2023年9月22日記)
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