スポンサーリンク

【浦潮日記】ポエジー編 #5 ーロシア極東連邦大学ロシア語留学記ー

【浦潮日記】

注記;各項目最後の括弧内の日付は、自分がそのことをメモした日である。

<ポエジー編 #5>
スポンサーリンク

手もかじかみバッテリーも働かずデジカメ不調

 外気温マイナス15℃の時、ダウンの胸ポケットにデジカメをいれておいた。

いざ写真を撮ろうとしたら、「充電切れ」の表示が出て写真が撮れない。外出する時、寮の部屋の中ではまだ十分バッテリーはあった。外では温度が低くてバッテリーが作動しないのである。

厚手の手袋をしていても、長く外気に手をさらしていると指がかじかんでスイッチが押せなくなる。バッテリーを暖かい建物の中で、腹に入れて温めると正常に戻った。極寒の中でデジカメを使う場合は要注意である。(2013.1.6.)

バス停のカップルのイチャツキも自由のあかし

 10年前のモスクワよりも、ここウラジオでは昼間から人で溢れているバス停などでイチャツイテいる若いカップルが多い。

もちろん通行人は皆、無視である。ロシア語の担任の先生に

「あんなに人が多いところでイチャツクのは見苦しいね」

と言ったところ

「ソ連時代は警察にとがめられた」

と言う。戦争中の日本でもそんなことがあった。

そう言えば、今日の新聞(2013.10.17.)にイスラム教国家であるアフリカのモロッコで、キスシーンをフェイスブックに載せたら「公序良俗を乱した」といって少年・少女が逮捕されたという記事が載っていた。(2013.1.17.)

99%が日本の車 街を歩く自分は誇らしげ デンソーの大看板を発見 思わずシャッター

 ここウラジオでは、ハンドルの位置の関係でどうしても日本製を採用できないバスを除いて、乗用車は99%ぐらい日本製である。

サラリーマン生活を自動車会社で過ごした自分としては、ここまで惚れこまれると少し誇らしくなる。

また、たまたまバスに乗っていたらデンソーの大看板を発見した。どうも自動車整備工場の敷地のようだった。(2013.1.8.)

ほとんどが日本車

兵士100万人、市民100万人が眠るサンクトペテルブルク

 以前からロシア人の平和観のルーツは何なのか関心があった。

それを現地の市民の目線から確認するのも今回の留学の関心事のひとつである。授業に使っているロシア語教科書にあの有名な「900日のレニングラード包囲」の話が出てきた。

100万人の兵士、100万人の市民が死んだという。ロシア語の先生の母親もいつも

「あの戦争さえなかったら」

と言っていたという。

以前、何かの統計で第二次世界大戦で一番多くの犠牲者を出したのは旧ソ連であったという記事をみた記憶がある。だからロシア人はこの戦争を大祖国戦争と呼ぶ。

このテキストを読んだあと、レニングラード包囲と第二次世界大戦関係のDVDを二枚買った。(2013.1.9.)

母語とロシア語

 我々日本人にとってなかなか実感として理解しにくのは旧ソ連圏の人にとってロシア語はどういう言語なのかということである。単なる外国語ではないはずである。

ウクライナ、ベラルーシなどロシア語と似ているスラブ語を母語とする人もいれば、バルト三国のようにスラブ語系でない国の人もいる。中央アジアの旧ソ連圏の人々の母語は印欧語でない、まったく違う系統の言語を母語としている。

12年前、モスクワに滞在していた時に知り合ったタジキスタン人の人々は、まだソ連崩壊直後だったのでロシア語を流暢に話していた。

3年前にバルト三国のひとつであるラトビアを旅行した時、道を尋ねたり、市場などで買物をしたが当然皆ロシア語を当たり前のように流暢に話す。

しかし、通りの名前や看板にはロシア語はひとつもない。全くゼロである。

ロシア語で書かれた小説や本は街頭でも沢山売っている。テレビでは現地の言語とロシア語の両方の字幕が入っていた。ここ極東連邦大学のロシア語の先生の一人は小さい時ウクライナにいた。

その先生はウクライナ語は書いたり、しゃべったりはできないけれど、会話は理解できると言われていた。ところが同じロシア人の先生でもウクライナにまったく縁がない先生はウクライナ語の話を理解できないという。そのウクライナでもロシア語は昔ほど教えないようになってきているらしい。

今、ウラジオでバスの運転手などとして働いているタジキスタンなどからの労働者はロシア語を理解出来ないので困ると先生が言っておられた。

事実、運転しながら仲間と携帯で話しているのはロシア語ではない。今後はだんだん旧ソ連圏でも母国語教育が重視され、若い人はあまりロシア語を話さなくなるだろう。(2013.1.11.)

ポエジー編 #6 に続く

コメント

タイトルとURLをコピーしました