注記;各項目最後の括弧内の日付は、自分がそのことをメモした日である。
以下のデータは、特にことわりがない限り、現地で見たり、体験したり、ロシア語の先生などから聞いたもろもろの数字データである。1ルーブルは3円、1ユーロは130円、1元は16円で換算した。
寒さの自分的4段階表示
レベル1. 東海地方の寒さ(冬でも0℃以上)。
レベル2. ウラジオの晩秋、実家のある北陸、富山県氷見市の冬(マイナス5℃~プラス2℃)。耳やあごが外気に直接触れていても苦にならない。手袋は薄いもので良い。素手でデジカメのシャッターを押すのに何の不自由もない。
レベル3. ウラジオの冬(マイナス10℃~マイナス20℃)。毛皮の帽子、厚手の手袋、あご、耳を覆わないと耐えられない。手袋を外してデジカメのシャッターを押そうとすると、数十秒で手がかじかんでしまう。手袋をしていても手が温まらない。ボールペンはインクが凍結して出ない。デジカメのバッテリーがすぐ上がり作動不良。
レベル4. シベリア内陸部(ハバロフスク、ノボシビルスク、イルクーツク)の冬(マイナス30℃~40℃)。吐いた息がまつ毛で凍る。雪祭りではなく、氷まつりが可能。生きた魚を閉じ込めた氷の彫刻が可能。車は動く。しかし粗悪ガソリン、粗悪オイルだと動かない。(2012.12.27.)
ロシアの平均賃金(1日8時間労働基準)
- 国が定めた最低賃金:月5千ルーブル(15000円/月)
- 普通の女性の平均賃金:月1万5千ルーブル(45000円/月)
- ウラジオの平均賃金:月2万ルーブル(60000円/月)
- モスクワの平均賃金:月4万ルーブル(120000円/月)*(注記)
*注記:なお参考までに世界各国の2007年当時の円換算の平均年収を示す。ここで「実質」とは税金、社会保障費などを差し引いて、個人が自由に使える金額である。なお日本のデータはボーナスを含んでいない。 (出典:プレジデント2007年12月号)
日本(東京) 額面:314600(円/月) 実質:240000(円/月)
ロシア(モスクワ) 80000 75000
ウクライナ(キエフ) 39100 35000
アメリカ(ニューヨーク) 403500 280000
ドイツ(フランクフルト) 353700 240000
フランス(パリ) 277300 190000
中国(北京) 35500 30000
韓国(ソウル) 179500 140000
注記:サハリンの州都ユジノサハリンスクの公式サイト(2012年5月現在)によると平均賃金は月46100ルーブル(約13万円)という。しかし、実際はこの半分の月収の人もほとんどいないという。
ウラジオの実態と符合している。一部の金持ちが低い所得税率の下、リッチな生活をしておるのだろう。要は現在のロシアは我々が想像するより所得格差が大きいということか。
ロシアの年金
若いタチアナ先生の両親の年金額を聞く。軍人だった父親の年金は2万5千ルーブル/月(7万5千円/月)、事務員だった母親の年金は7千ルーブル/月(2万1千円/月)だという。ロシアの軍人は年金でも優遇されているという。
労働者の法定有給休暇日数
先生の話によると、ロシア全土での労働者の年間平均有給休暇は28日だという。ここ沿海州では労働者平均で年間36日の有給休暇、極東の教師は更に優遇されていて、年間63日の有給休暇が取得できる。ロシアでは日本と違い、有給を100%完全消化するのが当たり前である。先生方も良く「有給で○○へ行く」という話をしていた。
時給220ルーブル(660円/時間):ウラジオのバス停の貼紙求人広告
この時給を1日8時間労働に換算すると日給は1760ルーブル/日(5280円/日)、月給は3万9千ルーブル/月(11万7千円/月)となり、モスクワ並みの月給となる。少し良すぎる感じ。短時間勤務なのか。仕事の内容がわからないので平均的データとしてはあまりあてにならない。
ロシアの少子化対策の手厚さに完全脱帽
ここロシアの子育て支援対策の金銭面での補助にはびっくりした。(ロシア語の先生から聞く)
第一子: 一時金 1万4千ルーブル(4万2千円)
賃金保障 妊娠9カ月から4カ月間 賃金の100%
出産後1年半 賃金の40%
第2子: 1時金 39万ルーブル(117万円)*(注記)
賃金保障 第1子の場合と同じ
<コメント> 39万ルーブルとはあまりにも大きい数字なので、その場でも「一桁多いのではないですか」と先生に聞き直したものである。この文を書くため帰国してからネットで調べたところ、間違いなかった。ある記事によると、2006年にプーチン首相は子作り奨励策として2人目の子供に対して34万3千ルーブルを支給することを決めたという。これはロシア人の平均年収の1.5倍にあたるという。これから逆算すると2006年当時のロシア人の平均年収は23万ルーブル(月収1万9千ルーブル、円換算5万7千円/月)になる。だいたい合っている数字である。
この手厚い補助の背景には、日本より深刻なロシアの人口減少問題がある。少し調べてみたので、その結果を記す。この人口減少の原因としては、ペレストロイカ後のロシア社会の混乱による企業倒産、解雇、生活苦、アルコール中毒・麻薬問題、自殺増などが考えられる。
・1950年代~1980年代 人口増加の時代
・1955年 妊娠中絶が合法化
・1966年 ロシア人の平均寿命のピーク 69.5才
・1970年代 子供を1夫婦につき2人までに制限することを推奨
・1980年代 出産を奨励する政策に方向転換
・1987年5月 ペレストロイカ始まる
・1990年代 ソ連崩壊後の経済混乱による経済的理由で出産を自主的に抑制する夫婦が増える
・1990年 ロシア人の平均寿命 69.2才、ロシア人の自殺率26.5人/10万人
・1991年12月 ソ連崩壊
・1992年 ロシアの人口、ピークとなる 1億4870万人
・1995年 ロシア人の自殺率 41.5人/10万人、この年以降ロシア人の自殺率世界一となる
・1998年 日本で失業者急増、日本人の自殺率が前年の18.8人/10万人から25.4人/10万人に急増
・2000年 ロシア人の平均寿命 65.4才、ロシア人の自殺率39.4人/10万人
・2002年 ロシア人の平均寿命 64.8才、ロシア人の自殺率38.7人/10万人、特に男性の自殺率は69.3人/10万人
・2005年 ロシアの人口 1億4320万人
・2010年 ロシアの人口 1億4200万人、ロシア人男性の平均寿命59才、女性の平均寿命73才
ロシアの消費税 18%
店でズボンを買ったら、レシートに18%の消費税がついていた。ロシア語でエヌ・ディー・エ(НДС:налог на добавленную стоймость) と言い、ヨーロッパと同じ言い方でいわゆる付加価値税である。食料品なんかにもかかっているのか、先生に授業中に聞いたがご存知なかった。食料品のレシートをチェックしたが消費税の項目はなかった。帰国してからインターネットで調べると、基本18%の消費税で食品などは10%に軽減されており、医療、教育関連はゼロということであった。
ウラジオで働く北朝鮮人労働者数 6000人
建築現場で働く北朝鮮人労働者は、ロシアと北朝鮮との政府間で締結された協定に基づきウラジオで働いているという。APECの突貫工事の時から来ているのだろう。今も続く建築ブームの現場で良く見かける。
ロシアでの 三菱OUTLANDERの価格
海岸通りの映画館の前に三菱のSUV、OUTLANDERの新型モデルの新車が展示してあった。見ていたら営業マンが近付いて来て、いろいろ質問に答えてくれる。ロシアでの価格はスタンダードは95万ルーブル(285万円)、高級品は140万ルーブル(420万円)であるという。旧型モデルの新車は15万ル-ブル(45万円)値引きしてくれるという。平均月収2万ルーブルのウラジオッ子にとっては高値の花だ。
中国でのトヨタ車カムリの値段:20万元(320万円)
これは日本車が欲しいと言っていた中国人学生から聞いた値段である。これは中国人にとっては高い買い物だね。
日本の中古車のオークション価格、中古車輸出の歴史
図書室の女性職員の息子が日本の中古車をオークションで買いたいと言うので相談にのる。ロシア人専用の日本の中古車のオークションサイトがある。そのサイトを見ると、彼が買いたい車は2000cc、8年走行落ちの4WDで車検無し、最高落札価格は20万円になっている。日本だと10~15万円か。これを彼は30万ルーブル(90万円)で落札したいという。
<コメント> 興味があったので、日本からロシアへの中古車の輸出の歴史を調べてみた。中古車の輸出には業務輸出と携帯輸出があり、業務輸出の場合は輸出車検が必要。ところが携帯輸出の場合は携帯品扱いなので5万円以下なら輸出車検を受けずとも、車の抹消登録証明書と領収書を税関に提出するだけで持ち帰ることができる。
・1985年 ゴルバチョフ書記長選出される
・1986年 ソ連共産党中央委総会で「ペレストロイカ」路線承認
・1986年 この当時のソ連国産車の価格:
ボルガ、ジグリーなどの大型車:約8000ルーブル、この時の為替レートで約172万円)、モスコビッチなどの小型車:約6000ルーブル(同130万円)、
当時はどんな国産車もロシア人にとっては高価で且つ入手困難な貴重品。
コメント:ウラジオで古いモスコビッチが路上で止まっているのを一回だけを見た。昔のダイハツの軽のような車である。これでは誰も振り向かないことが理解できる。今ではソ連国産車を極東で見つけることは困難である。ソ連時代の車の品質の悪さと国際競争力の無さを示している。
・1987年10月 新潟港でソ連船員が5万円以下、車検切れの中古車を買うようになる。月1~2台の実績である。5万円でも日本の中古車はソ連製より優れていたので、ソ連に持ち込めば飛ぶように売れただろう。船員は、まさにぼろ儲けである。
・1988年 外国車の輸入関税が従来の2割になる。即ち、従来の5ルーブル(1100円)/ccから1ルーブル(220円)/ccになる。1500ccの車だと165万円の関税がかかっていたのが32万円ですむようになった。
・1988年8月 新潟港でロシア向け、月20台の中古車が売れる。
・1991年 ソ連邦消滅
・1992年 ウラジオストックが外国人に開放される
・1993年 ロシア、GATT(関税と貿易に関する一般協定)に加盟申請
・1994年 日本からの携帯輸出関税が132円/ccから657円/ccに引き上げられる。ロシア政府の税収アップ作戦。
・1998年8月 ルーブル暴落、取引停止
・1998年10月 富山での中古車輸出実績が前年同月比で10%程度に激減
・2000年 中古車の輸入関税が引き上げられる。この頃からルーブル危機の影響がなくなる。
・2003年4月 富山県伏木港からのロシア向け手荷物扱い輸出中古車は約8400台。3ヶ月前の、
この年1月単月の4倍の数値。6月からロシアで個人向け自動車輸出関税が撤廃されることからの駆け込み需要。船員の手荷物扱いで、持ち帰る。船員数増大、船大型化。この年の中古車の携帯輸出のうち3~4割が富山県での取り扱い。ロシア人の中古車購入ツアーが盛ん。
・2005年7月 輸出貿易管理令の改定により中古車の携帯輸出ができなくなる。
その分業務輸出が増加。
・2007年5月 実家のある富山県伏木港から貨物客船に乗ってシベリア鉄道の旅に出発。船の目的地はウラジオストック港である。船は中古車とロシアからの旅行者を満載しており、船内は活気に溢れていた。(コメント:上記のように、2005年に携帯輸出が出来なくなったとネットの記事に書いてあったが、多分関税が少し上がった程度なのでしょうか。いずれにしてもまだ携帯輸出が盛んであった。またこの頃、名古屋の講演会でイルクーツク近くのウランウデ出身の蒙古系ブリヤート人の学生が日本で中古車を買い、実家に里帰りした時、ウラジオストックに着くと、夜に現地マフィアがホテルに訪ねて来て、金を要求されたという。治安や法律、制度がしっかりしていないので、こういうおいしいぼろ儲けの話しにはすぐマフィアがからんでくるのである。日露領海境界近くの船上でのカニの密輸もそうである。また縦・横・高さが各1.5メートルぐらいあるトイレット・ペーパーを買いこんで船のデッキに置いている人もいた。観葉植物もあった。何でこんなものが積んであるのかその時大変疑問に思ったが、今回ウラジオで日本製トイレット・ペーパーを買ってみてわかった。日本のス―パで15円/個のものがウラジオストックでは108円/個で売られているのである)
・2012年8月 ロシア、WTO(世界貿易機構、GATTが発展的に解消して1995年に設立された)の156番目の加盟国になる。これにより中古車の輸入関税が従来の半分になる。
・2013年 WTO加盟による2013年以降の関税スケジュールは以下のとうり。車両価格とエンジン排気量(cc)に基づき課税される。
新車:加盟前30%→加盟時25%→23%(2016年)→15%(2019年)
中古の小型車(1000cc~1500cc、走行期間7年超):加盟前2.7ユーロ(351円)/cc→加盟時1.5ユーロ(195円)/cc→22%(2018年)→20%(2019年)
中古の小型車(1000cc~1500cc、走行期間8年超):加盟前35%→加盟時25%→22%(2016年)→20%(2019年)
中古の大型車(1800cc~3000cc、走行期間7年超):加盟前4ユーロ(520円)/cc→加盟時2.2ユーロ(286円)/cc→22%(2016年)→20%(2019年)
中古の大型車(1800cc~3000cc、走行期間8年超)加盟前35%→加盟時25%→22%(2016年)→20%(2019年)
富山県伏木港からウラジオに向かう貨物客船に山と積まれた中古車(2007年4月末)
数字編 #2に続く
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