注記;各項目最後の括弧内の日付は、自分がそのことをメモした日である。
ウラジオの物価事情
バス賃:5ルーブル(10年前)→15ルーブル(2012年まで)→17ルーブル(2013年から)
ピアンセ(肉まん):5ルーブル(5年前)→40ルーブル(2013年現在)
市内循環バス
昔(ペレストロイカ前):ハンガリー製
今:韓国製
なおバスに日本製がないのは、ロシアでは車は右側通行なので、左ハンドルのバスでないとだめなのである。この韓国製の市内循環バスはあまりに古いからなのか、それとも品質が悪いためか、乗客を乗せたままエンストしているのをしばしば見かけた。その時は、運転手が携帯で車庫に電話して応援を待つのである。お客さんは次のバスが来るとそれに全員乗り換える。ハンガリーは旧共産圏では車の技術レベルが高くここのバスは人気があったとのこと。そう言えば現在デンソーの欧州向け噴射ポンプは、ハンガリーで生産している。付言しておくが、観光用のバスは皆きれいで日本のものと変わらない。
ス―パのレジ袋
昔(2002年):薄くてすぐ破れる
今:日本と同じもので丈夫
10年ぐらい前にモスクワに滞在していた時、買物品を入れてくれるビニール袋の強度が弱くて大変困った経験がある。今はそんなことは全くない。日本と同じである。有名なス―パだと自分の店のロゴ入り袋に入れてくれる。店員の愛想は良くないけれど品物を袋に入れてくれるのは日本より親切である。日本と同じでレジ袋は有料で2ルーブル(6円)である。但し、これは最近できたス―パの話で、昔からある市場では黒いビニール袋に入れてくれる。これは無料である。強度は十分である。このビニール袋を売って歩く専門の業者がいて、沢山の袋を手に抱えて市場内を歩き回っていた。
ホテル・ウラジオストック
昔:(1991年5月当時):日本人も宿泊した高級ホテル、しかし3台あるエレベーターのうち2台が
ストップ、木製の窓枠のペンキが剥がれていて、朝食のバターがない。(出典:犬島 肇著、嵯峨寿安、そしてウラジオストックへ、桂書房1993.11.1.)
今:(2013年現在):中国人がメイン客、エレベーターも内装もきれいになっている。
なお、このホテル・ウラジオストックは日本人抑留者が建てたホテルで、ホテル・ヒュンダイが出来るまでは市内最大のホテルであった。
ウラジオ港の軍事交流
昔:(1992年迄):ウラジオストックはロシア太平洋艦隊の秘密軍事基地で外国人は立ち入り禁止で、ロシア人も立ち入りが制限されたという。
今:(2013年現在):外国との軍事交流が盛んで、アメリカ、フランス、中国も含め外国の戦艦や帆船が多くウラジオ港を訪れる。日本の自衛隊も交流を深めているという。またウラジオを母港とする帆船は日本も含め、アジアの国々を訪問して、交流を深めている。
少しだけサービス向上した 郵便局
昔:(2002年モスクワ):日本に送る本の梱包が極めて雑。自宅で受け取ると梱包のあちこちが破れていた。荷物の到着までに、船便で1カ月以上かかった。
今:(2013年現在):梱包は極めて良好で、且つ日本の宅急便と同じように、荷物が今どこにあるかネットで調べることが出来る。荷物の到着までに船便で、2~4週間かかった。しかし、ロシア人が利用する国内送金の窓口は、以前と同じように混雑しており、行列の順番の奪い合いだった。例によって職員とやりあっている市民もいた。なにしろ、お客さん本位に効率的にやろうという気持ちがあまり、窓口で感じられない。コンピューターがこんなに発達し、且つ身分証明書を国民全員が持っているのだから、やる気があれば日本より効率的にやれると思う。それでも、最近は銀行も沢山出来て競争もはげしくなり、そして国民の苦情も少しは反映される社会になったためか、郵便局の窓口にも、郵便局女性職員が「私たちは良いサービスを目指します」と呼びかけているポスターが貼ってあった。また、送金窓口の後ろを振り返ると、一応「苦情受付」の窓口があり、先ほどからなかなか受け付けてもらえない年配の婦人が怒っていた。
< あとがき >
2013年7月26日夜に日本人留学生とロシア語の先生に見送られてウラジオストックの極東連邦大学の寮を出て、韓国経由で実家のある富山空港に降り立った。兄弟たちの出迎えを受け、その足ですぐ入院中のおばさんを見舞う。丁度、お盆の季節だったので墓参りを済ませて知立の自宅に帰る。出来るだけ早く記憶が鮮明なうちに、この日記を完成させたかったが、3ヶ月もかかってしまった。留守中に届いた郵便物を整理するだけでも一ケ月もかかった。でも、留学中からいろいろ記録を残しておいたので、忘れていたことはなかった。正確さを記すためインターネットや本で調べていたら、新たな発見や興味も湧いてきて、面白くなってきた。また、ロシア出発前から疑問に思っていて、今でもすっきりしない宿題もある。そのひとつが「スターリン言語学」、スターリン弾圧の歴史とその根源であり、ロシア語文法史であり、レーニンとスターリンのロシアでの評価の違い、社会主義経済発展史などである。幸い昔と違って、インターネットという便利なツールがあるのと、若い時から集めた本があるので、日本の国立国会図書館、イギリスの大英博物館付属図書館から文献を取り寄せた昔ほど苦労することは無い。いずれにしても、まだまだ疑問が残っているので日々勉強である。この長期留学は自分と家族の健康、周りの人の支えがあってこそ実現したものである。ロシア語、フランス語の先生、またその生徒仲間には出発前にもいろいろ教えてもらい、且つロシア滞在中にも励ましの言葉をもらい、これがまたやる気の源泉になった。今は亡き両親にも感謝したいものである。
(2013年11月4日)
< 増補・改訂あとがき >
最初のあとがきを書いた後、あらためて芭蕉の「奥の細道」、兼好の「徒然草」、司馬遼太郎の「街道を行く」、更に中学時代に朝日新聞に連載され、毎日わくわくしながら読んだ本多勝一の「カナダエスキモー」などを読みなおした。その結果、いろいろ改善した方が良い点が見つかり増補・改訂版を出すことにした。特に現地で撮った写真を追加し、ポエジー編に22項目、今昔編に1項目新たに追加した。写真を入れたほうが面白くて、わかりやすいし、どうしてもこの機会に書いておきたいことがあったからである。また文章を読みなおすと、わかりにくいところや、くどいところもあったので訂正した。今度読みなおした本のうち、特に本多勝一の著作は単なる探検ものでもなく、さりとて文化人類学の論文風でもなく、現地の人をみる目にも共感できるものがあった。また文体も無駄が無くわかりやすい。あらためて感銘を受けた。名著と言われる理由がわかる。(2014年2月26日)
【浦潮日記】 終わり


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