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人に人生あり、土地に歴史あり【越中屋弥左衛門の ブラブラ日帰り旅日記-お城・遺跡・名所・旧跡巡り紹介-】第5話 小牧城

ブラブラ日帰り旅日記-お城・遺跡・名所・旧跡巡り紹介-

はじめに

人に人生あり、土地に歴史あり

これは年金暮らしの越中屋弥左衛門が天気の良い日に、あちこちの関心のある場所を気ままに訪ねた時の旅行記である。「特別の計画を立てない」、「日帰り」、「車を使わない」という三原則があるだけである。日帰りとなると、愛知県の三河に住んでいるので行く場所も限られる。しかし、この三原則もしばしば、破られることがある。それは弥左衛門が実家のある越中に帰省した時などである。たった三つの原則さえ守らないし、ましてや朝起きて天気が悪かったら、即中止となる。それくらい、いいかげんなブラブラ旅だということを御理解頂きたい。

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小牧城

小牧山城は1563年に信長が美濃攻めの拠点として築城した。

しかし、4年後には信長は岐阜城に拠点を移し、この城は廃城となった短命な城である。しかし、城にある資料館の説明書によると、楽市楽座的な街も築かれたという。そっくり街ごと岐阜に移ったのである。しかし、建てられた場所、残っている石垣や天守閣を模した資料館の作りは、いかにも信長好みを感じさせる。

 

 

名鉄小牧駅を降りて、10分ぐらい歩くとこういう景色が見えてくる。高いビルが少ないことと、街並みが入り組んでおらずすっきりしているからである。信長が行なった街づくりの影響なのか知らないが、環境の良い住みやすそうな町である。

 

 

更に城に近づいて、公園の入口近くに来るとこういう景色になる。頂上にそびえる城が堂々としていて見事な風景である。岐阜城は山が高すぎて、真下から仰ぎ見ると城は逆に小さく見えるが、この小牧山は標高があまり高くないので、山の緑と天守閣のバランスが良い。そのため、頂上まで散歩する人の姿が見えた。毎日の健康づくりの散歩道として良いコースである。若い人なら駆け足で登っても良い。

 

 

ここが天守閣を模して造られた資料館である。しっかりした城の絵や図面は残っていないという。

 

 

 

これは小牧山を市に寄贈した尾張徳川家の子孫の銅像である。天守閣のすぐ下に建てられている。眼下には小牧市街が見渡せる場所である。

 

 

銅像に取り付けられている、銅製銘板である。

 

 


銅像の隣からみた小牧市内の様子である。天気は快晴で、空気も澄んでいた。

 

 

天守閣を模して建てられた小牧山歴史館入口玄関横下にはめ込まれた館銘板である。越中屋弥左衛門は歴史館に入る前に、いつ建てられたのか知ろうと思って、これを見たら基本設計者の名前に城戸 久とあったので、思わず撮影したものである。

城戸 久は弥左衛門が学んだ名古屋工業大学の建築科の教授で、当時から「お城博士」として有名であった。またこの歴史館の着工年はちょうど弥左衛門が大学に入学した年である。その一年後には不正入試問題を発端とした大学紛争が起こる。

城戸教授は学長代行に就任し、その問題解決に尽力した。この紛争の詳細はブログに紹介してある弥左衛門の著書、『わが紛争』を参照して頂きたい(こちら)。なお実施設計者の城戸武夫は城戸教授の実兄である。つまり兄弟で設計した資料館というわけである。(記2020年5月6日)

小牧城MAP/近隣宿泊

小牧城MAP

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越中屋弥左衛門がおすすめする小旅行オススメグッズ

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