はじめに
これは年金暮らしの越中屋弥左衛門が天気の良い日に、あちこちの関心のある場所を気ままに訪ねた時の旅行記である。「特別の計画を立てない」、「日帰り」、「車を使わない」という三原則があるだけである。日帰りとなると、愛知県の三河に住んでいるので行く場所も限られる。しかし、この三原則もしばしば、破られることがある。それは弥左衛門が実家のある越中に帰省した時などである。たった三つの原則さえ守らないし、ましてや朝起きて天気が悪かったら、即中止となる。それくらい、いいかげんなブラブラ旅だということを御理解頂きたい。
安土城
第1話の岐阜城に続いて、第2話はやはり信長ゆかりの城である安土城である。
弥左衛門は最寄りの安土駅までJRで行き、そこから徒歩で現地へ向かった。30分ぐらいの良い散策道である。降り立った安土駅の駅舎は新築で、観光案内所も併設している。
安土城ゆかりの他の施設もみたい人は、駅前にある自転車のレンタル・サービスを利用すると良いと思う。安土城の建物は残念なことに今はまったく残っておらず、石垣だけが残っている。その理由については諸説がある。
そして、今は臨済宗のお寺の所有地となっており、その寺の立派な門は残っている。入口で入場料を払って石の階段を登って行く。岐阜城ほど高くないので、足元は悪いが階段をゆっくり歩いて行けば、一時間ぐらいで天守閣跡に到着する。下りもあるので、弥左衛門にとっては結構良い運動になった。
道路に接した部分である。一番外側だけど、多くの石垣の跡が今でもしっかり残っている。ここに秀吉や家康の館があったという。
前の写真の場所を接近して撮ったものである。ここに信長の家来の館が建てられていた。
安土城に登る
城跡に登る入口である。ここで入場料を払って階段を登っていく。この安土城跡敷地の所有者である臨済宗のお寺の人が管理していた。
入口からすぐのところの階段である。デコボコしていて登りにくい。しかし、当時のままの階段が、そのままで残っているのがうれしい。変にいじくると価値がなくなる。
頂上まで半分ぐらいのところの様子である。こういう道が15分ぐらい続く。木立の中を歩くのは気持ちが良い。
頂上付近に近づくと、このような立派な石垣がいくつもある。それがL字型の通路を形成している。この石垣の上に建物が建っていたのであろう。
大分、頂上に近づいてきたので木々がなくなって来た。ここも道がL字になっている。
「巨石跡」と書いてあった。どれだけ大きい石をどれだけ多く使って城を作るかが、権力のバロメーターだった当時の面影が残る場所である。しかし、運んでいた途中で落下して、百人ぐらいの人足が死亡したと文献に記されている超巨大石はまだ発見されていないという。
天守閣跡からの眺め
天守閣のあった場所からの眺望である。琵琶湖と山並み、民家のバランスが良い。
山を下ったところにあるお寺の山門である。禅寺の立派な門構えである。
仁王様が陣取っている。ここで元の場所に戻って来たので終了となる。
まとめ
この日は平日だったが、出張ついでのサラリーマン風の人も含め、数十人の観光客を見かけた。この安土城跡地以外に近くに信長や安土城関係の施設がいくつかあったが、徒歩で行くには少し遠かったのであきらめた。また安土駅まで来た時と同じ道を徒歩で戻り、JRの普通列車を乗り継いで三河に戻った。(記2020年4月28日)
安土城MAP
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