はじめに
人に人生あり、土地に歴史あり
これは年金暮らしの越中屋弥左衛門が天気の良い日に、あちこちの関心のある場所を気ままに訪ねた時の旅行記である。「特別の計画を立てない」、「日帰り」、「車を使わない」という三原則があるだけである。日帰りとなると、愛知県の三河に住んでいるので行く場所も限られる。しかし、この三原則もしばしば、破られることがある。それは弥左衛門が実家のある越中に帰省した時などである。たった三つの原則さえ守らないし、ましてや朝起きて天気が悪かったら、即中止となる。それくらい、いいかげんなブラブラ旅だということを御理解頂きたい。
彦根城
今回は天下の名城のひとつと呼ばれている彦根城である。越中屋弥左衛門は姫路城、犬山城は見たことがあるが、近くに住んでおりながらこの彦根城は訪問したことがなかった。幕末の「桜田門外の変」で水戸藩浪士団に暗殺された大老・井伊(いい)直(なお)弼(すけ)の居城である。
先日、旧西尾城内にある西尾市資料館で開催された歴代西尾藩主が残した書画の展覧会を見に行ったら、幕末の西尾藩主は井伊直弼が大老の時、一緒に老中を勤めていたことを知った。彦根藩、西尾藩は両藩とも徳川幕府譜代の名門だったことがわかる。この西尾藩主も「桜田門外の変」で失脚している。江戸時代には、日本に300藩あったというから、一国一城の原則なのでそれだけの城があった。
しかし、ほとんどの城は明治時代に破壊・撤去され、たたき売りのような運命をたどっている。そして明治末期や大正になるとろくに管理もされず庭の草はボウボウ、残った建物はボロボロというところもあったという。この彦根城はありがたいことに、多くの建物は撤去されたにもかかわらず、天守やいくつかの櫓、門が残り、今に至っているという。
明治政府の江戸時代に建てられた城の保存・撤去の原則を弥左衛門は知らないが、少なくとも今残っている国宝級の城は所有者と地元の人が大事に保存してきたから残っているのであろう。今回の彦根訪問は大学時代の友人たちと連れ立って、東海道線を乗り継いで彦根に到着し、ここに住んでいる友人と久々の旧交を温める目的もあった。城は実に見事で、さすがに国宝というものであった。また城内には上品なホテルがあり、そこでみんなでランチした。
天守閣はそんなに大きくないが、立派な風格と上品さがある。
堀の回りもきれいに整備されたおり、ごみも落ちていないし、変な外来種の亀や魚も見うけなかった。いくつかの建物も大切に保存・復元されていた。桜の木を中心に庭園内の樹木は生き生きしており、日本庭園の美しさを満喫できる。
多分、こんなところでお殿様は季節折々、お茶会などを開き、家来やお供の者、皆々と語り交流したのであろう。少し見上げる位置に鎮座する天守閣、池の周囲の木造・藁ふきの庵、そして逆さ富士ならぬ逆さ天守が水面に映る池と日本庭園の曲線美が見事である。
残っている城内の住居跡である。日常業務をこなすところだったのだろうか。
建物内部である。趣のある襖絵が残っている。
お殿様の住居にしては、天井部分が貧弱だなと思って撮影した。越中屋弥左衛門のように加賀百万石の御領地に育ったものとしては、ここに立派な彫刻を施した欄間を入れて欲しいと思ってしまう。富山県ではお殿様でなくとも、ちょっとして家ではどこでもその懐具合に応じて、離れや応接間のこのような部分には井波の彫刻師がつくった欄間を入れる。
時代の趣を感じさせる襖絵と床の間である。こういう所で書を読むと落ち着く。
天守から見た城内の庭園と市外の眺望である。
天守閣や城の回りは、ゆったりとした散策路になっている。天守閣付近のほんの一部を除いて平坦なので、健脚でなくともゆっくり見て回れる。疲れたら休む場所もある。(2020年5月14日記)
彦根城MAP/近隣宿泊
彦根城MAP
18Lのサイズで一泊二日での旅行や城などのウォーキングに最適なリュックサック。胸と腰の2か所を止める留め具で長時間の歩行も疲れません。リュックサックのコンパートメントは、大きなフロントポケット2つと小さなポケット1つがあり、小ポケットはダブルジップで開け閉めしやすい機能となっています。電話や小物をいれて紛失を防ぐことができます。サイズ感やポケットの多さで一度使うと手放せません!
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