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【越中屋弥左衛門の ブラブラ日帰り旅日記-お城・遺跡・名所・旧跡巡り紹介-】第1話 岐阜城:NHKの大河ドラマ「麒麟がくる」で人気上昇中の「岐阜城」に行ってきた。

ブラブラ日帰り旅日記-お城・遺跡・名所・旧跡巡り紹介-

はじめに

これは年金暮らしの越中屋弥左衛門が天気の良い日に、あちこちの関心のある場所を気ままに訪ねた時の旅行記である。「特別の計画を立てない」、「日帰り」、「車を使わない」という三原則があるだけである。日帰りとなると、愛知県の三河に住んでいるので行く場所も限られる。しかし、この三原則もしばしば、破られることがある。それは弥左衛門が実家のある越中に帰省した時などである。たった三つの原則さえ守らないし、ましてや朝起きて天気が悪かったら、即中止となる。それくらい、いいかげんなブラブラ旅だということを御理解頂きたい。

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岐阜城

第1回目は、やはり何か記念になるところは無いかと思案したところ、今NHKの大河ドラマで人気上昇中の岐阜城に決めた。

正月休みに尋ねた時は、ロープウェイで山頂に登り、歩きまわって、少し疲れて帰ってきた。城のある岐阜公園は大変きれいに整備されており、頂上からの眺めもすばらしいものだった。大変気に入ったので、桜の季節にもう一度訪問することにして帰ってきた。

そして、4月の桜の季節に再訪問した時には、正月に入館できなかった名和昆虫博物館も見ることした。しかし、この日は、岐阜県にコロナ感染による外出自粛要請が発令される前日であったので、名和昆虫博物館も翌日から休館になるということだった。まったく滑り込みセーフである。

もちろん大河ドラマにあやかったイベントはすべて中止されており、屋台なども閉店の貼紙がしてあった。山頂へのロープウェイはどうにか動いていた。

天守閣を下から、見上げた風景である。緑がまことにきれいで雄大な城であることがわかる。藁ふきの粗末な家に住んでいた当時の農民にとっては、城主の 偉大さを示すものであったことがうかがい知れる。ここへはロープウェイに乗って数分で登ることができる。短時間ながらすばらしい眺めを堪能できる。もちろん、いにしえの人が利用した健脚用登山ルートもある。 

 

 正月2日の岐阜城天守閣周辺である。正月でも結構人がいた。ここへロープウェイで登って、新年のご来光を拝む人も多いらしい。こんな山の上どうやって石を積み上げ、材木も運んで来たのか想像すると、当時の人々の苦労と技術がしのばれる。また、そこまでやらせる信長など城主の権力の強さをうかがい知ることができる 

 

 天守閣の直下から見上げた天守閣である。 

 

ロープウェイからのすばらしい眺望である。以前に安土城の天守閣跡からも琵琶湖方面をみたが、眼下に広がる景色は同じように雄大であったが高度が低これほど都会の風景ではなかった

山、森林高層ビルがうまくミックスしたこれほど良い眺めは世界中にあまりないのではないか。信長の時代にローマ教皇のもとに派遣された少年キリスト教使節団もこのような日本の城を見ていれば、ヨーロッパの教会を見てもそう驚かなかっただろう。実際、この岐阜城に信長を訪問した外国人宣教師は、その城と館の豪華さに感嘆している。 

 

信長の館があった場所である。この時は発掘調査中であった木々の緑とマッチした赤い多重の塔は威厳と豪華さ、安定感が混じりあった感動を与えてくれる。当時の日本人の美意識の高さうかがわれる

岐阜公園

頂上に登るロープウェイ乗り場の前にある噴水の岐阜公園である。奥に見えるのは休憩できるお茶屋である。この噴水の回りには座って休めるベンチがいくつか設置されており疲れたら座ってぼんやり周りの景色を眺めるのに良い。 

 

噴水の水は間欠的に動きが変わり、この状況が最も美しい。 

名和昆虫博物館

噴水のすぐ横にある名和昆虫博物館の看板である。

この昆虫博物館は岐阜蝶の発見者である名和靖が明治40年に設立したものであり、代々、名和家と財団法人の手によって運営されている。越中屋弥左衛門はこの博物館が岐阜県にあることは知っていたが、ここあるとは知らなかった。 

 

昆虫博物館の正面玄関である。この建物(大正8年竣工と横の記念昆虫館(明治40年竣工)共に近代日本を代表する建築家武田五一(後に名古屋高等学校、現名古屋工業大学の校長の設計によるものである。

この建物は「登録有形文化財 岐阜県第1号(文化庁)並びに「都市景観重要建築物(岐阜市に指定されている。内部の蝶を中心とした昆虫標本は実にすばらしい。 

 

これは昆虫博物館の横にある記念昆虫館である。明治40年に竣工し、現在「岐阜市重要文化財」に指定されている。やはり建築家武田五一氏の設計になるものである。 

 板垣退助受難の銅像

噴水の後方にある、板垣退助受難の銅像である。板垣退助岐阜のここにあった建物演説中に凶刃に倒れたそして板垣死すとも、自由は死の言葉を残したこと有名である

銅像の銘板には、「板垣先生は自由のために命を捧げたという趣旨の元総理大臣吉田茂漢文が刻まれている。 

まとめ

例年桜の季節には大忙しの屋形船も今年は、コロナ騒動のため全く客がいない。 

名和昆虫博物館を見れたし、桜も眺められたで、最後は名鉄岐阜駅のビルで昼飯を食べて帰って来た。名和博物館も昼食を食べた店も知事のコロナ対策要請で明日から休業すると言っていた。
(2020年4月25日) 

岐阜城MAP

岐阜公園MAP

名和昆虫博物館MAP

板垣退助受難の像MAP

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