はじめに
人に人生あり、土地に歴史あり
これは年金暮らしの越中屋弥左衛門が天気の良い日に、あちこちの関心のある場所を気ままに訪ねた時の旅行記である。「特別の計画を立てない」、「日帰り」、「車を使わない」という三原則があるだけである。日帰りとなると、愛知県の三河に住んでいるので行く場所も限られる。しかし、この三原則もしばしば、破られることがある。それは弥左衛門が実家のある越中に帰省した時などである。たった三つの原則さえ守らないし、ましてや朝起きて天気が悪かったら、即中止となる。それくらい、いいかげんなブラブラ旅だということを御理解頂きたい。
清州城
清州城は名古屋駅からすぐのところにある。城が初めて築かれたのは1405年当時の尾張守護斯波(しば)義(よし)重(しげ)によるという。
その後1555年織田信長の居城となった。信長の死後、城主は何人も変わり、最終的には1610年名古屋城築城に伴い廃城となった。その際、当時の天守閣なども解体され名古屋城建設の建材とされた。尾張徳川の世となり清州の城下町もそのまま名古屋城下へ移転された。これが世にいう「清州越し」である。
現在、城の周囲は公園となっており、三重四階の天守などが再建されている。内部は清州市の歴史展示室となっている。全体としては、名古屋駅に近いので交通の便が良いことはメリットだが、あまりにも線路が城跡に近すぎて景観の邪魔をしている。名鉄、JR、新幹線の線路に囲まれてお城さんは窮屈な感じである。それでも天守閣に登って遠くを見ると名古屋駅前の高層ビル群が見える。
天守閣から見た公園風景である。すぐ近くをJRの線路が走っている。
堀をはさんで両方に公園がある。この公園近くには清州市の城以外の公共施設もある。
別の方角からみた天守閣からの眺望である。お堀跡と思われる川のすぐそばに今は工場や民家が建っている。
眼下に見えるのはやはり再建された建物と思われる。
(記2020年5月20日)
清州城MAP/近隣宿泊
清州城MAP
コメント