はじめに
これは年金暮らしの越中屋弥左衛門が天気の良い日に、あちこちの関心のある場所を気ままに訪ねた時の旅行記である。「特別の計画を立てない」、「日帰り」、「車を使わない」という三原則があるだけである。日帰りとなると、愛知県の三河に住んでいるので行く場所も限られる。しかし、この三原則もしばしば、破られることがある。それは弥左衛門が実家のある越中に帰省した時などである。たった三つの原則さえ守らないし、ましてや朝起きて天気が悪かったら、即中止となる。それくらい、いいかげんなブラブラ旅だということを御理解頂きたい。
岡崎城
岡崎城は言わずと知れた家康誕生の城である。
しかし、生まれてまもなく、幼少の頃から信長や今川方の人質になっていたので、この城の戻った時は元服して間もない頃だったろうか。
いずれにしても足利時代末期から戦国時代にかけての日本の歴史上一番乱世の時代に生まれたわけである。母親は政略結婚で刈谷から嫁に来た。そして、家康が生まれてまもなく、今度は政略離婚で離縁され、刈谷に戻っている。
京の都は乱れ、下克上、親兄弟間の死闘、盗賊の横行などで安心して生活できず、庶民でも、家康のような権力者でも人間誰でもが平和を望んだであろう。
統治者不在のこのような境遇に生まれた家康は戦闘にあけくれながらも、戦場で死ぬことなく、且つ健康で長生きしたので安定した江戸時代の基礎を築くことができたと言える。
家康の先祖は豊田市の山間部の松平郷の豪族だったのが勢力を拡大して、ここ岡崎の城主になっている。
お城の入口である。訪問した時は4月になったところで、まだコロナによる外出自粛要請がでていなかった。そのため、人手はまあまあだった。
弥左衛門はどうしてもここの桜を見たかったのでマスク持参で出かけた。
本当はここで、前年秋の西尾城祭りで見た火縄銃同好会による「試し打ち」演武をもう一度見たかったが、当然中止であった。しかし、天気は快晴で、桜もちょうど満開だった。
岡崎公園
ちょっと離れて見た天守閣である。この公園内部にはこの城以外にも大きな博物館があり、また季節ごとにきれいな花が咲くので散策するにはもってこいである。一号線に接しているので、名鉄でも車でも交通の便は大変良い。
城入口のすぐ近くにある噴水である。公園も大変きれいに整備されている。ここの堀の水は矢作川の支流である乙川(おとがわ)から引いている。城のすぐ下流で豊田山間部から流れてくる矢作川本流と合流する。
お堀にかかっている赤い橋と桜の調和が美しい。後ろに見えるのは乙川である。
石垣と橋、満開の桜が見事である。江戸時代は高貴なお方しか散策できなかったお城内部を、我々のような庶民でも自由に見られるような世の中になったことはありがたいことである。
乙川
城の横を流れる乙川の散策路である。水も桜も大変きれいで、道路の護岸工事もしっかりしている。
水と桜、遠景のビルを望む景色が絵のようである。
まとめ
城の天守閣が川の向こう側に眺望できる絶景である。岡崎城は、このような平面的な景色がきれいなので、気軽にブラブラするにはもってこいの場所である。あまり疲れない。帰りは、名鉄東岡崎駅まで徒歩で15分ぐらいの散策を楽しんで電車で帰宅した。(記2020年4月30日)
岡崎城MAP
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