ウラジオストック散策冬物語は越中屋弥左衛門が、定年後のロシア語長期語学留学を見据えて、2008年2月にウラジオストックの街を下見した時の話である。
また、ここには掲載されていないが、突然のアポ無し訪問にもかかわらず、親切な学生、教員のおかげで留学したいと思っていた極東連邦大学付属ロシア語学校の授業も見学することができた。
ウラジオストックはこの下見旅行の前年の2007年5月の連休に、シベリア鉄道横断旅行の始発駅として利用した後、終着のイルクーツクから飛行機でウラジオストックまで戻ってきた。
だから、この時で合計3回目のウラジオ訪問となる。今回の下見は、できることならなるべく気候条件が厳しい時期を経験しておいた方が防寒準備や心構えの上でよいだろうと思い、丸善発行の「理科年表」でウラジオの年間温度変化を調べ、一番寒い冬の2月に決定した。
しかし、結果論になるが、4年後の2012年に10ヶ月間ウラジオストックの極東連邦大学に留学してわかったことは大晦日頃が一番寒いということだった。
昼間でも零下20℃になり、日本では経験したことのない防寒対策が必要となる。衣服はもちろん、デジカメなども少し外に出して、撮影していると100%充電後でも低温で電池能力が低下し作動しなくなる。
そして お腹の体温で電池付近を暖めると再撮影可能となる。
到着したウラジオストック空港と女性職員。
この空港はウラジオストック郊外にあり、いかにもロシアの伝統的空港らしく古くボロイ。交通も不便でタクシーで約一時間かかる。
降り立つと、空港でタクシーを拾って、市内中心部のホテルまで直行した。空港は4年後に長期留学のため、訪問した時には新しくなり、市内中心部のウラジオストック駅までの直通電車も開通していた。プーチンはウラジオストックを極東開発の中心と位置付けており、インフラ投資を加速し、国際会議もたびたび開催している。
この時のような古い空港ではプーチンも安倍首相に調子の良いことを言ってもあまり説得力がないだろう。
ウラジオストック港の風景である。
シベリア鉄道の起点であり、日本海貿易の中心港の一つなので貨物も多い。
この港に隣接して、中央広場や街の中心部がある。画面手前は貨物船であるが、奥には赤十字船と軍艦がみえる。このウラジオストック港はロシア海軍の有力軍港のひとつなので、アメリカや中国の軍艦も友好訪問する。
越中屋弥左衛門はこの前年の2007年のシベリア鉄道旅行時は、日本製中古車とそれを買付けた多くのロシア人が乗った船で故郷富山県の伏木港を出港し、この港に到着した。シベリア鉄道のウラジオストック駅はこの港に隣接しているので大変便利である。
別の角度からみたウラジオストック港である。やはり赤十字船と軍艦がみえる。
埠頭には多くの車も見える。
ちなみにウラジオでは99%車は日本車である。それも圧倒的に中古車である。残りの1%というのは中古の韓国製市内循環バスである。
その理由は、日本では車は左側通行であるので、バスの降り口は当然左である。一方、ロシアでは車は右側通行なので、日本のバスは使えない。
そこで、同じ右側通行の韓国製中古バスを使っているのである。そして、バスの運転手はすべて旧ソ連のウズベキスタン?か、タジキスタン?からの出稼ぎであった。
ウラジオストック散策冬物語#2につづく
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