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Amazon出版:「《ある戦後生まれ》の戦争論  北ボルネオ戦跡紀行 横井庄一軍曹と小野田寛郎少尉」を出版しました。

出版物

このたびAmazonから「《ある戦後生まれ》の戦争論  北ボルネオ戦跡紀行 横井庄一軍曹と小野田寛郎少尉」を発刊しました。

以下、著書内容について紹介します。

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著書序文紹介

「《ある戦後生まれ》の戦争論  北ボルネオ戦跡紀行 横井庄一軍曹と小野田寛郎少尉」

序文

この「戦争論」は実際に戦争を体験した人間のものではない。戦後団塊の世代の一人である筆者がどうしても書いておきたいと思って筆をとったものである。第一部の「北ボルネオ戦跡紀行」は父親が戦争に行っていたボルネオの地を訪問した時の記録である。筆者は入社後、世界のあちこちを一人で旅行していたが、50歳ぐらいから戦後生まれの自分としては父親から聞いていた戦地を訪問しないことは大変申し訳ないと思うようになってきた。そして、下調べをするうちに大変多くの犠牲者が出た戦地であることが分かった。第2部の「横井(よこい)庄一(しょういち)軍曹と小野田寛郎(おのだひろお)少尉」は、戦後30年近くもジャングルで生き、無事帰国した二人の元軍人の話である。この二人が発見された時、筆者はまだ学生であったが世間は大変な騒ぎだったことを記憶している。しかし、この二人に対する世間の反応は大きく違っていた。横井庄一が発見された時は、素直に日本全国、その生命力と精神力に驚いていた。普段、新聞をあまり読まない母親も食い入るように記事を読んでいたことを覚えている。一方、小野田寛郎救出劇に関しては、救出前からゲリラ戦のスパイ養成学校「陸軍中野学校」出身の小野田を「帝国軍人の模範」として意識的に宣伝する一部の風潮とフィリピン政府と自民党政府との間で裏取引があるのではないかという疑惑が気になっていた。横井庄一は戦後隠れていた時まで一人も現地人を殺していない。ところが小野田寛郎は30人近くも現地島民を殺害しており、食糧強奪事件も起こしている。また小野田寛郎を「発見」した鈴木紀夫が筆者と全く同年代であることもこの二人の発見事件への関心を高めた。筆者の学生時代はこういう若者の世界放浪がブームで、学校を一年休んで、皿洗いをしながら欧州を回ってきたという友人もいた。しかし、この「発見」は余りにも話が出来過ぎていると、ずっと疑問を持って来た。これらの疑問を解決しようと筆をとったのが第2部である。時間がたつと風化するものもあるが、逆に地表の余分なものは風化し洗い流され、「仮止め」されたような虚構は朽ち果て、地下の「硬い岩盤的真実」だけが出てくることもある。また年がいくと、今のうちに真実を語っておかなければという人もいる。以上述べたように、父親と戦死者への「申し訳ない気持ち」と、二人の全くタイプの異なる元軍人が帰還した時に抱いた「感動」と「疑問・疑惑」に答えようというのが、この『“ある戦後生まれ“の戦争論』である。

内容紹介(目次)

著者紹介

金 田 堅 三(かなだ けんそう)

1948年(昭和23年)富山県氷見市生まれ
1967年(昭和42年)名古屋工業大学合成化学科入学
1972年(昭和47年)東京工業大学大学院入学
1974年(昭和49年)愛知県の大手自動車部品メーカーに入社、生産技術、研究開発部門に38年間勤務
2012年(平成24年)定年退職

著書
「【増補版】我が紛争!1968年名古屋工業大学 不正入試事件を発端とした民主化運動の記録」(2020年7月20日)
「今日の中国情勢の底流がわかる『夜と謀略の皇帝』実像毛沢東年譜」(2020年11月30日)
「50音引き・総画数順 日本語の漢字と発音で覚える韓国語重要漢字9000字」(2021年8月9日)
以上すべて発行所は、デザインエッグ㈱、発売はアマゾン.

現在の主な関心は科学技術史・技術論、言語学、歴史、自称『年金ライター(年金生活を送りながら好きなことを書いている)』

ブログ開設中で「ケンゾウラボ」で検索、
メールアドレス:kenzolabo@hotmail.co.jp

購入

もし興味のある方は、以下のアマゾンのリンク先から購入可能です。

お読みいただきましてありがとうございました。

 

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