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わが紛争!1968年名古屋工業大学 不正入試事件を発端とした民主化運動の記録

わが紛争 わが紛争
わが紛争

           写真は本の表紙、A5版、240頁、写真、新聞記事多数有り

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著書紹介

この本は、51年前の1968年に起こった学園紛争を記録したものです。
越中屋弥左衛門(金田 堅三)が、学生自治会役員として実際に経験したことを記録しました。

ですから、これは弥左衛門の自分史のワンカット・シーンであると共に、日本社会運動史・思想史の流れの渦の一部です。

本を購入希望の方は、本サイト下部にリンクされている電子著書のAmazon Kindle版を一冊2千円で購入できます。

内容紹介

目次紹介

目 次
初めに
1部 写真
2部 名古屋工業会(名工大同窓会)会報
3部 新聞記事
4部 年表
5部 参考資料とその論評
おわりに

本著からの一部抜粋

初めに

この小著は、筆者が体験した1968年(昭和43年)におこった不正入試問題を発端とした名工大民主化運動の記録である。

筆者はこの前年名工大に入学し紛争の激しかった時期に、半年間学生自治会委員長を経験した。当然、この経験は筆者のその後の人生を決めた重大事件であった。ここでは、この小著を書く理由を述べておきたい。第一は、この時代を報道するマスコミへの不満である。1968年の騒動と言うと団塊の世代が暴れた全共闘時代であると紹介するものが一般的である。

そして、この時代の学生運動といえば、親から金を送ってもらいながら、勉強もせずにヘルメットとゲバ棒で暴れていたと思われがちである。そして会社に入れば、おとなしいただのサラリーマンになったという風に認識されている。マスコミは何でも派手なことが好きなのはしょうがないが、物事の主要な側面ではないことを大宣伝されると、これに少しは反論しておく必要と義務があると感じてしまう。大げさに言えば、歴史における庶民の体験がまたひとつ抹殺されることになる。

名工大でも全共闘系学生が暴れたが、彼らは学生運動の主役ではなかった。クラスを基礎に討論し、その意見を学生自治会として集約して、大学当局と団交に臨んだ。その結果、大学を構成する各層の大変な努力により画期的な確認書が締結されたのである。このような運動内容と経過を具体的に示したかった。第二はこの全共闘運動の歴史的評価の問題である。その本質は学生としての切実な要求実現の運動に介入し、混乱をひろげることによって自分らのセクト的政治「革命」路線を広げることであった。

しかし、ヘルメットとゲバ棒で暴れて「革命」ができるわけがなく、その幼稚な「革命」路線は内ゲバ、浅間山荘事件、よど号乗っ取り事件などの陰惨な結末で終わった。名工大における全共闘運動の具体的内容を示したい。第三は名工大の名誉を守ることである。この時代の各大学における紛争は、それぞれの大学の置かれた歴史的背景によって発端となった要因は様々である。

名工大の場合は不名誉なことに一部の教授会メンバーによる不正入試疑惑があった。国立大学におけるこのような事態は学生をはじめ、著しく名工大構成員の名誉を傷つけた。名工大紛争は世間全体が騒がしかったので全国的レベルではあまり知られていなかったが、東海地方ではかなり大きく新聞などで報道された。今なら全国的大事件で、ワイドショーで連日報道されるであろう。

こんな中で、教授会メンバーが起こしたこの不名誉を正すために自らの身を挺した教授たちがいたことを明らかにするのも、紛争を経験した卒業生の勤めである。不正入試問題に一貫して全身全霊で取り組んだ岡林 稔 入試問題調査委員長、非常な困難と妨害の中、確認書締結のため努力した城戸 久 学長代行執行部の行動は、身近にそれらを見てきた学生として、名工大の今後のために是非とも残しておかなければならない歴史的事実である。

特に岡林 稔 教授は名工大の「名誉」を守るために、自らに与えられた「名誉教授」の肩書を返上した。そして、紛争中には60歳近くの身で長期にわたり大学内で寝泊まりしたので、その寿命を縮めたかもしれない。格好の良い、きれいごとでまとめられた大学の「正史」には書けない事が多いので、この小著がその役割を少しでも果たしたい。

最後の理由は国立大学法人化をめぐる騒動(筆者はこれを第二次名工大紛争と呼ぶ)である。平成15年(20037月)に発生した一連の騒動を筆者はNHKのローカル・ニュースや新聞で知った。今度は社会人として外から母校の騒動を観察したわけである。学長の独裁的手法が原因で大学執行部間で亀裂が生じたようである。学長が仕掛けた信認投票の結果、59%の支持を得て「喜色満面、改革に勢い、“独走懸念する声も”」の見出しが躍る新聞記事をあらためて読んでみると、卒業生としては大いに不安になるものである。まあしかし、第一次名工大紛争は不正入試という大学としては最低レベルのことだったが、今回は大学のあり方をめぐる動きの中で紛争が起こったわけだから、少しは紛争の質が上がったとも言える。

第一次名工大紛争の時も大学のあり方は大問題となり、大学改革委員会なども教授会内に設置された。その後、どういう論議を経て30年後にこういう騒動に発展したのか筆者にはわからない。文部省や外部からやいやい言われる前に大学は自ら国民から要求されている使命を果たしていかなければならない。第一次紛争時に学生課長だった山田幾穂教授が、退官記念誌に書いている思い出話によると、この時の教授会の字句いじりの抹消的論議に嫌気がさしたと述べているから、あまり実のある議論がその後も展開されなかったのかも知れない。

いずれにしても筆者のまったく個人的な歴史観察結果に基づくならば、この不正入試問題を100%とは言えないが、ある程度クリアしたことが国立大学法人化の後も名工大の存続につながったと思っている。だから、この1968年代の名工大紛争の性格を理解しておくことは今後の大学改革にとっても大切だと思っている。

【献 辞】
この小著を城戸 久 学長代行執行部、岡林 稔 入学試験問題調査委員長をはじめ、学生側との確認書締結と名工大の名誉を守るために活動したすべての人々に献げる

年表目次の抜粋

年表目次

序章 清水勤二学長時代:昭和24年(1949年)5月~昭和34(1959年)年5月 (新制名古屋工業大学発足・不正入試の影)

第1章 佐藤知雄学長時代:昭和34年(1959年)5月~昭和44年(1969年)2月 (順風満帆・高度成長・マスプロ教育・不正入試暴露ビラ・学長緊急入院・とんずら辞任)

第2章 城戸 久学長代行時代:昭和44年(1969年)2月~昭和44年(1969年)9月 (団交・疾風怒涛・確認書締結)

第3章 村井忠一学長代行時代:昭和44年(1969年)10月~昭和44年(1969年)11月 (不正疑惑教授免職決議否決・つなぎ執行部・教授会メンバー総辞職セレモニー)

第4章 山田 保学長代行時代:昭和44年(1969年)11月~昭和45年(1970年)1月 (疑惑教授免職決議反対派の台頭と1日学長代行・即入院・自宅療養・上申不実行・歴史抹殺疑惑)

第5章 森島宗一学長代行時代:昭和45年(1970年)1月~昭和45年(1970年)10月 (不正入試報告書公開・疑惑教授居座り・スト

解除・新疑惑発覚)

第6章 森島学長時代:昭和45年(1970年)11月~昭和47年(1972年)10月 (学長選挙実施・学長代行終了・正式学長発足・不正入試新疑惑)

終章 森島学長退任:昭和47年(1972年)10月~平成15年(2003年)7月 (疑惑教官定年退官・新疑惑未解明・灰色平和時代)

補章 名工大創立100周年と第二次名工大紛争:平成15年(2003年)

7月~平成17年(2005年) (創立100周年と国立大学法人化に伴う教授会の内紛)

年表目次

序章 清水勤二学長時代:昭和24年(1949年)5月~昭和34(1959年)年5月 (新制名古屋工業大学発足・不正入試の影)

第1章 佐藤知雄学長時代:昭和34年(1959年)5月~昭和44年(1969年)2月 (順風満帆・高度成長・マスプロ教育・不正入試暴露ビラ・学長緊急入院・とんずら辞任)

第2章 城戸 久学長代行時代:昭和44年(1969年)2月~昭和44年(1969年)9月 (団交・疾風怒涛・確認書締結)

第3章 村井忠一学長代行時代:昭和44年(1969年)10月~昭和44年(1969年)11月 (不正疑惑教授免職決議否決・つなぎ執行部・教授会メンバー総辞職セレモニー)

第4章 山田 保学長代行時代:昭和44年(1969年)11月~昭和45年(1970年)1月 (疑惑教授免職決議反対派の台頭と1日学長代行・即入院・自宅療養・上申不実行・歴史抹殺疑惑)

第5章 森島宗一学長代行時代:昭和45年(1970年)1月~昭和45年(1970年)10月 (不正入試報告書公開・疑惑教授居座り・スト

解除・新疑惑発覚)

第6章 森島学長時代:昭和45年(1970年)11月~昭和47年(1972年)10月 (学長選挙実施・学長代行終了・正式学長発足・不正入試新疑惑)

終章 森島学長退任:昭和47年(1972年)10月~平成15年(2003年)7月 (疑惑教官定年退官・新疑惑未解明・灰色平和時代)

補章 名工大創立100周年と第二次名工大紛争:平成15年(2003年)

7月~平成17年(2005年) (創立100周年と国立大学法人化に伴う教授会の内紛)

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